スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

自由であるということ

ずいぶんと投稿があきました。

図書館でめずらしく講和のCDを借りました。

ひとつは鈴木大拙「禅と科学」。これは1960年に鈴木大拙氏90歳の時の公演を録音したものです。

もうひとつは渡辺和子「愛をこめて生きる」(講話集いのちを見つめて第5巻)

いろいろ感じるところはありましたが、今回は「自由」についてを書こうと思います。

鈴木大拙氏は西洋の「自由」と東洋での「自由」ということについて説明しています。西洋の「自由」は「なにかから解き放たれる、束縛から解放される」といったことが自由であるが、東洋の「自由」というのは、字のまま、言葉のままで、「自分自身である」ということをさす。と。外国語を訳するときに、日本語にはそれに値する言葉がなかったので、それを「自由」と訳してしまったと。

鈴木和子さんは、「自由とはやりたい放題するという意味ではなく、人間はもとから自由であるのだと。」彼女のいう自由とは、「ものごとをどうとらえるかという自由」が与えられているということでした。

例として、アウシュビッツの囚人のお話をだされましたが、あのどうしようもない状態でも、心の内側は常に自由だったと。生き残った人たちは、必ずしも強い肉体や頭脳が与えられていた人ではなく、こころに希望があった(希望を選んだ)ひとたちだと。

人はどんな状況でもこころは常に「望むものを選択できるという自由」。

渡辺さんは、マザーテレサのことも話されていました。マザーテレサが日本に来た時に彼女は通訳をしたそうです。マザーテレサが行くところ行くところでたくさんのフラッシュをあび、マスコミに囲まれたそうです。マザーテレサは嫌な顔ひとつせず、いつも笑っていたのだそうです。

渡辺さんが不思議に思っていると、マザーテレサは言ったそうです。「フラッシュが1つたかれるごとに、魂がひとつ神のもとに行かれる。私は神とそう約束したのです。」だから、フラッシュがたかれるのは嬉しいことなのだと。

「どうとらえるかを決められる自由」。

心でなにを想像するかは自由なら、空想の世界の中でなら、大量殺人をしてみてもいいような感覚すらしてくる。生きた何かを切り刻んでみたい自分もいるような気がする。もちろん、空想の中でならの話です。

人間に与えられた選択肢は無限かも。その数ある選択肢の中から自分が選択する。肉体をもって生まれてきたのは、それを肉体をもって、物質世界で体験してみるためかもしれないと思いました。

私がこの肉体をもって、物質のあるこの世界で体験したいことってなんだろうと考えさせられています。


「どうとらえるかは自由」であるのなら、好きに意味を与えていいのならと、
今朝、私はとりあえず、食器あらいの意味を変えてみようと思いました。

考えたあと、「食器の汚れが落ちるたびに、私のゆがんだフィルターが取り除かれていく。」(偏見を手放していく。)としてみました。

洗う食器をためるのはもったいなくなりそうです。掃除に広げていけるなっ。

どなたか、「食べること」にふさわしい意味のアイデアはありませんか?あったら教えてください。なんだかパシッとくるものが思い浮かばなくて…。

一日に何回もすることにいい意味を与えられたら、幸せですよね~。あと、痛みとか否定的な感情とかにも。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

自由であるということに意識を向けると深いわ~参考になります。食べることは、自分が生きるために他の命を頂いているという事がありがたいなと感じてます。

Re: タイトルなし

Reiko♡

コメントありがとう♡。

うん。自由は深いね。

食べることはそうだよね。参考にさせていただきます。
食べることってなんだかつい無意識になってしまうのよねぇ。

最近はお肉は切り身やスライスが当たり前で実感がなくてあまり命を感じられないし、お野菜もスーパーの陳列だからかなぁ。なんだか命を感じられない感じがします。

あるいは、それも自分の反映なのかなぁ。(自分を)生きていない自分。豚も牛も鶏も多くは今は生き物としての尊厳を与えられていないで生まれ殺されているのよね。お野菜もあるいみそうかも。

まずは、生きた姿をちゃんとみたらそういう感覚が自然に湧きあがるのかも。

自分自身であるという東洋の自由の意…なるほどぉ。
いかなる状況でも、自分自身(本質)で在る という選択は
自分の意志の元にある そう読み取りましたuu
旬な話だわ~。

生きた姿を見たら で例えばマザー牧場で牛を見ながら
牛肉をバーベキューなんて想像してみたんだけどね…
あんまり直結しないんだよね 実際そういうシチュエーションあったし
頭の中で、牛と牛肉は別物認識が決定しているからかも知れない^^;
私の場合は、動いている貝を味噌汁に入れた時
命を喰らう実感があったことを思い出した けど…
あれから時を経て、それさえも無感覚になってしまったかも…

色々考えさせられます~~

No title

harumiの問いかけを考えていて 二人のコメントのやり取りをみていて思ったのは

食べることに限ったことではないけれど
全体の一部である と意識できる行為だな~と思った

全然問いかけの答えになってないね(^^;
でも ヒントもらった~ ありがとね♪

Re: タイトルなし

Nori♪

自分自身である状態(自由)を忘れてしまっているのだから、
その状態になろうというのは自分の意思と言えるねぇ。なるほどぉ。

そうなんだよね。お肉と牛さんは結びつかないようにうまく思いこんでるところあるのよねぇ。
じゃあ、つりかぁ??むむ…私お魚から釣り針抜くのむりやわ…。生きてるのと、パック詰めのはやっぱ別物のような感覚が…。

あとは、ひよこ育てて、成長したらいただく???うぐっ、し、絞められない…。

そう思うと、やっぱりお肉類は特にごちそうなのかも。特別な時に大事に感謝していただくものなのかも。

> 生きた姿を見たら で例えばマザー牧場で牛を見ながら
> 牛肉をバーベキューなんて想像してみたんだけどね…
> あんまり直結しないんだよね 実際そういうシチュエーションあったし
> 頭の中で、牛と牛肉は別物認識が決定しているからかも知れない^^;
> 私の場合は、動いている貝を味噌汁に入れた時
> 命を喰らう実感があったことを思い出した けど…
> あれから時を経て、それさえも無感覚になってしまったかも…
>
> 色々考えさせられます~~

Re: No title

Hiroko♪

そうだよね。全部循環だものね。
ありがとう♡。ヒントにちょっと考えてみました。

いただいた命(食べ物)がキラキラの粒子になってエネルギーを発しながら体中をめぐる。

出てくるものもキラキラいていて、それがまた川に流れて、いろいろなところにいったり、
蒸発してお空にいって、雨になって、植物に降る。それをまたいただく。
キラキラに感謝する。体にさよならする時がきたら、キラキラは土に戻る。

なかなかいいかも。キラキラ=ソマチットだね。
もう少し詰めてみるわ。

ありがとう!!!









> harumiの問いかけを考えていて 二人のコメントのやり取りをみていて思ったのは
>
> 食べることに限ったことではないけれど
> 全体の一部である と意識できる行為だな~と思った
>
> 全然問いかけの答えになってないね(^^;
> でも ヒントもらった~ ありがとね♪
最新記事
プロフィール

harumi

Author:harumi
こんにちは東京在住のharumiです。私は2009年春頃、精神的、肉体的にダウンし、うつ病寸前に至りました。師匠坂下宏光氏(と、その後彼の相方となったMIEKOさん)に出会い、ワークを通じて、少しずつ自分の心に向き合い、受け入れていくことで自分自身が癒され、楽になれることを実際に体験してきました。自分を生きるため、もっと幸せになるために、自分の心のメッセージに気づき、受け入れていくお手伝いができればと考えています。

最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。