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当たり前。。。

当たり前。
ふと、改めて当たり前とか、当然とか、ふつうであることを考えました。

一般的に使われてる、「当たり前」とか「当然」って言われるとなんだか全然嬉しくない。やってることが全然大したことではなくてどうでもいいというような感じを私は受けていました。

主婦なら、
・そうじするのは当たり前。
・洗濯するのは当たり前。
・食事を出すのは当たり前。
・家を守るのは当たり前。
夫なら
・会社に行くのは当たり前。
・毎月お給料を入れてくれるのは当たり前。
・仕事は大変で当たり前。
一般では
・健康で元気なのは当たり前。
・優しくされて当たり前。
・家族に愛されるのは当たり前。

などなど。後ろに「当たり前」を書いたら、「する側」に立つと、なんだか報われなくて、つらくて苦しくて、悲しくなります。「受け取ってる側」に立つと、普段ありがたみを忘れていることに気が付きます。「当たり前」って実は結構大変で、ありがたいことで簡単にスルーするべきことではないのですね。

感情でいえば、自分を含め個々は「当たり前のこと」だから、つらい、大変などと思ってはいけない。できない自分が悪い。やらないといけない。報われない。こんな風に出てくる自分の痛みを無意識に見て見ぬふりをきっとしています。その状態が自分にとって普段ごくごく「ふつう」で「当たり前」なので、しっかり意識を向けないと気づきません。気づいてもそういうもんだからと即、もしくは一生懸命あきらめてしまう。でも、そんな気持ちに気づいて自分自身をわかってあげたり、無理してるならそれをやめることを許してもいいのですよね。

一方、受け取ってる「当たり前」の多さにも愕然とします。そして、スルーしてる自分の傲慢さにも。両親に何不自由なく育ててもらったこと、今何不自由なく暮らさせてもらってることも、「当たり前」として大して見えてなかったけれど、精一杯がんばってる両親や、夫の姿があってこそなのですよね。改めてありがたいなぁと胸がジーンとしました。この時代に日本に生まれたことも、今ふつうにあるものもすべてがありがたいことなのですね。

師匠は「日常の中に自分の痛みがあることに気づいていない。」から、しっかり自分を見るようにとよく言っています。改めてその通りなのだなと思います。そして、自分の痛みに気づき受け入れた時に、やっと人の痛みも真の意味でわかります。日常の中の自分の痛みに気づくことは私が思ってた以上に得るもがあるのではと思い始めました。まだまだ気づかないことだらけですが、、とりあえず、だんだんに気づく自分の痛みを受け入れいやしながら、もっと喜びを感じたり、もっともっと心から感謝できるようになりたいものです。
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harumi

Author:harumi
こんにちは東京在住のharumiです。私は2009年春頃、精神的、肉体的にダウンし、うつ病寸前に至りました。師匠坂下宏光氏(と、その後彼の相方となったMIEKOさん)に出会い、ワークを通じて、少しずつ自分の心に向き合い、受け入れていくことで自分自身が癒され、楽になれることを実際に体験してきました。自分を生きるため、もっと幸せになるために、自分の心のメッセージに気づき、受け入れていくお手伝いができればと考えています。

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