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すねてました。

いやはや、強烈なイライラの下には、強烈にすねてる自分がおりました(^^ゞ。

おおもとはやはり子どもの頃の自分。馴染みありあり。

こんな近い存在なんだから気持ちをわかってくれて当たり前なのにとか。
一生懸命やったのに(やってるのに)全然報われないとか。
拗ねて悲しくて悲しくて、自分なんかどうでもいい存在なんだと悲しみつつも、
やっぱり、そうじゃないと言ってもらいたくて、
気にかけてもらいたくて、かまってもらいたくて、愛を感じたくてとらわれていました。
そして、囚われているから、人の楽しむところが憎らしかったし、かといって自分は楽しむこともできない。

思いこんでるわけだから、それは苦しいです。

そしてそうしながらも、そんな風にしてる自分もいい子じゃないと否定し、嫌いだし、それに私もみんなみたいに楽しみたいのに楽しめない自分も嫌で、とても悲しいかったのだときづきました。

あぁ。拗ねて悲しくて泣いてる自分が嫌わずにありのままを受け入れて赦して愛してほしくて出てきたのだなと感じました。

軽い瞑想に入り、その中で拗ねて感情にとらわれて固まっている自分に、
「拗ねたいだけ拗ねたら出ておいで。そのままの私と私はずっと一緒にいるよ。愛を送っているよ。」
と自分を赦し、愛を送りました。

だいぶ楽になりました。

(いや~以前私がワークで拗ねてた時にミッチー師匠に言われた「拗ねたいだけ拗ねたらでてくればいい」って言ってもらったのの暖かさが改めてわかりました。ありがたいです。拗ねて師匠に食いついた状態だったのにね~(^^ゞ。その節はすみませんでした(恥)。本当にありがとうございました。そして、いつもありがとうございます。)


ぽつりぽつりと理解は進んでいくようで、

別件で気になってた人をみていて感じました。
「やさしいのは理解できるけど、自分のニーズをそんなに殺してしまっていいのかな。双方のためにはそこじゃないでしょう!」と。

じぇっ。私は今よりずっと物事を表面的に見ていただろうから、もしかして私がしていたのは時として勝手な思い込みであり、見当ちがいであったのかもしれないと感じました。(一生懸命やったことが全部無になるような気がして心がチクチク…。)

でも、行動が、ちゃんと宇宙でいう「愛」から発していれば、きっとWIN WINの結果になるんだよなぁ。だからなにかが違ってたんだよなぁ…。


だとしたら、それにはもっともっとしっかり自分を感じること。自分であること、愛であることだなぁと改めて思いました。
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harumi

Author:harumi
こんにちは東京在住のharumiです。私は2009年春頃、精神的、肉体的にダウンし、うつ病寸前に至りました。師匠坂下宏光氏(と、その後彼の相方となったMIEKOさん)に出会い、ワークを通じて、少しずつ自分の心に向き合い、受け入れていくことで自分自身が癒され、楽になれることを実際に体験してきました。自分を生きるため、もっと幸せになるために、自分の心のメッセージに気づき、受け入れていくお手伝いができればと考えています。

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