スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

自分を広げていこう

胸の苦しさ、痛さは罪の意識であったと思います。
罰を与えるのではなくて、してしまったことを謙虚に認めた上で生かしていこうと思った瞬間にすーっと痛みはとれました。
意識って本当に面白いです。

どうしてそういうことをしたのだろうと、自分の気持ちを探っていくと

愛してくれないから。
一緒にいてくれないから。
わかってくれないから。
とか、自分ばっかり損をする。馬鹿をみる。

そういう気持ちがたまって妬んで、相手(主に家族)にも嫌な気持ちを同じように味合わせたかったのかもしれないと思いました。

しっかし、一歩引いてみると、この感情はすべて自分の一方的な気持ちばかりだ。


ふと、最近読んでいるを思い出しました。

「奉仕 「自分だけ」のことから卒業する」という章で、
幼児に「奉仕」の心がないのは当然である。「自分のことでいっぱいいっぱい」だからだ。
では、歳を重ねると奉仕の心は自然に生まれてくるのか、というとそうでもない。
 指導が必要である。
 放置しておけば、小学6年生になってもエゴの塊という子は少なくない。
 「権利」ばかりを教えられ、マスコミによって「被害者意識」ばなりが増幅させられてしまった子どもに「奉仕」の心の大切さはわかる余地がない。むしろ「…してくれない」ことへの不満でいっぱいである。
       (子どもたちが身を乗り出して聞く道徳の話より)

現代は自分に直接的に利害の関係ないことは「自分には関係ない」と捉える傾向があるという。
自分はそうでもないなんて思っていたけれど、ん…他人事でない(汗)。

「奉仕」の心を育てるには、だんだんに「自分のこと」という範囲を広げていくといいそうな。

紙の真ん中の小さな丸が自分のことだけしか考えない自分なら、ちょっと成長したらその一回り大きな範囲を自分のことに、またさらに成長してもっとその範囲へと広げていく。そんなことが書いてありました。

私も少しずつ「自分のこと」という範囲を広げていこうと思います。自分のみたい・いたい世界に少しでも近づきたいから。

スポンサーサイト

胸が痛い…

見えていなかった・見ようとしてこなかった自分の中の否定性がぼつりぽつりと浮き彫りになってきています。

他者に対して、「どうしてなんだろう・理解できない」と怒りを感じていたことが、本当は自分の中にあるものを映し出されていただけなのだと改めて気づかされました。

他者は鏡であり、自分の反映だと理解していたつもりでしたが、それだけみたくなかった自分ということなのでしょう。

胸が苦しくて痛いです。

否定していたことをしていた自分も私の一部であることを認めて、自分をちゃんと理解したいと思います。

深いところの、私が一番感じたくない感情につながっているような気がします。それはなんだろう…。

あたたかい

道具
これらを作った人の心、そして大事に使っていた人たちの温かさを感じます。

ところで、さようなら、こんにちは、日の丸、お母さん、お父さんなどの意味ご存知ですか?私は知りませんでした。
この本を読んで、あたたかい気持ちになりました。

「日本人のこころの教育」

伸ばさないストレッチ☆

先日NHKのためしてガッテンで、動的ストレッチ(伸ばさないストレッチ)というのをやっていました。

ゆっくり静止してするストレッチが有名ですが、あれはリラックスする時に効果的なものだそうで、運動するには動的ストレッチがいいとのことで、スポーツ選手が採用しているそうです。

番組をみてから自己流で体中の関節を回したりしています。足も軽くなって楽に早く歩けるようになったし、首のコリもだいぶほぐれて、体のバランスが良くなってる感じがしています。いいかも☆。

一方、関節は体のとても大事な部分だし、指回しは脳にもいいのなら、もしかしたらどの関節も脳に関係あるのかなぁなんて思いながら続けています。

で、今朝ふと、ラジオ体操も動的ストレッチではないか??と思いました。ちょっとネットで調べてみたところそうおっしゃってる方も発見!!

ちょっとラジオ体操もやってみようかな。

ご参考まで

ためしてガッテン
ラジオ体操は動的ストレッチ

根っこのために

日本ほど日本をしらない国はないと聞いたことがある。

それを聞いても昔は、私たちにとって当たり前だから見えないんだろうくらいに思っていた。でも必要あって近年は多少の布石が打たれていたようだ。本当にそうかもしれない。

さまざまな思惑があり、歴史があり、今がある。
ちゃんと自分の目でみて、考えて、でも直接確かめようもないこともとても多いから、最終的にはそれらを通して感じたこと、感覚を自分の答えにするのだろう。

人間としてのルーツをしっかり知ることは人間としての自分の根っこ。しっかりとした根っこをもってさらなる自分(エゴでなく、戦いでもなく、本質)を生きることを選択したい。


これは「ある人」の話から私が感じ、今現在の理解で書きました。
混乱中。調整中です。

慢心傾向

慢心に気づいてから、なんとなく慢心してる時自分に気づけるようになったように思います。
感じていると、なにかうまくいったあとに、なんだか妙に浮ついた興奮状態で心がずっと自己アピールし続けるというか…。

感じていてみると、いいことがあると簡単に「ま~んしん!(に変身!)」してました。とほほ。

「私はしっかりしていそうで、びっくりするくらい抜けてるから、自分を信じていないんだよね。」
友人との何気ない会話ででてきた気にもとめていなかった自分の本音。

ランドセル忘れて学校に行ったり(小1)、この間は息子と合気道に行くのに肝心の道着を持たずに行ってしまったり…。
そんな自分を思っての発言でした。確かにそんな自分もほんとにいます。

失敗は、少なくとも師匠のワークを受けるまでは、自分を責めるだけで失敗から学ぶことがほとんどできなかったように思います。失敗する自分を否定して、なれもしない「失敗しない人」になりたいと願っていました。

でも客観的に考えてみたら、失敗を全くしないなんてことは無理です。

それなら、失敗したとき、自分悪かったらちゃんと謝れて、そして失敗をちゃんと生かそうとしてる自分であるなら信じていいのではないだろうかと思いました。

そういう見方をしたら、最近はこっぴどい失敗をしたときでも、(もちろん落ち込んだりもしますが)、私なりにできるかぎりそこから学ぼうと、これからに生かそうと頑張ってるよなって思えました。あやまるべきことも気づいたことにはちゃんと謝っているんじゃないかとも…。

自分は変わったのに、過去のまま、私は自分を信じていなかったのだと思いました。

それじゃあ慢心して「こんなこともできる!」なんていやらしいい感じで、誰かに自分をみとめてもらいたくもなるわなぁ。

自分の信頼を得るべく、行動して、そして、過度ではなく、過小でもなく、等身大の自分自身を認めていきたいと思います。
師匠のいう「失敗しても大丈夫」な自分になりたい。こつこつ。
最新記事
プロフィール

Author:harumi
こんにちは東京在住のharumiです。私は2009年春頃、精神的、肉体的にダウンし、うつ病寸前に至りました。師匠坂下宏光氏(と、その後彼の相方となったMIEKOさん)に出会い、ワークを通じて、少しずつ自分の心に向き合い、受け入れていくことで自分自身が癒され、楽になれることを実際に体験してきました。自分を生きるため、もっと幸せになるために、自分の心のメッセージに気づき、受け入れていくお手伝いができればと考えています。

最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。